
小学校裏山より山田社宅の全景

惣開小学校裏山より。東西に流れる山田川南側の一列がすでに撤去されている。

山田社宅入口旧踏切より南を見る。既に一列撤去されている。
かって、ここに線路をまたぐ陸橋があった。
(左右の道は本来一直線だがパノラマ合成の為、写真では逆ハに成っている)
住友山田社宅地図の一部分
(昭和30以前の記憶)

住友山田社宅の地図は昭和30年頃の記憶なので多少誤りがあるかもしれません
*共同浴場はすでに撤去されていましたので映像は有りませんが
'共同浴場 ふるさと新居浜探索’ で検索すると、他人のサイトですがそこに当時の共同浴場の写真が在ります。
<訂正>
地図の浴場の場所は間違っている。
正しくはPB(赤文字)の右下の消し跡のある所(散髪屋の下スミ)が正しい





B5 Bより南(山側)を見る。正面突き当りが化学69号。右生垣の日陰法面にセメントヒューム管がまだある。
幼少時は高くて入れなかった。


一列社宅が撤去されている為駅構造物が見える様になった。
以前は社宅が有って見えなかった。
化学69号
化学48号

D横の南北の川の水は綺麗であった。


直進は駅 左はトンネル上 E へ
直進の道は坂になっている。(通称 柳通り?)
良くこの坂でローラースケートをしたが
止まる事が出来ず電柱に激突し脳震盪を起こし気絶したことがある。

タイコ橋。

山田の池
池は相当荒れている(管理者不在で尚且つ遊ぶ子供がいない?)
上の写真で法面に立っている柱の位置に対応する池の淵では漏電?影響で濡れた手で地面を触るとビリビリしていたが事故は起こらなかった。子供たちも年上の悪ガキからから注意する様に引継がれていた。

派出所と星越駅と販売店(配給所) 駅前広場で離任(転出)の挨拶が恒例であった。
駅前の道と山田川はパノラマ合成の都合で屈曲しているが本来は一直線。

星越駅

駅前の派出所

星越駅前広場と
販売店(配給所)

山田社宅唯一の販売店(配給所)

山田社宅でただ一っの駄菓子屋の有ったところ?
派出所と散髪屋の中間ぐらい。
店主は(おつるさん?)、小さい子供にとっては苦手なタイプ。
仕方なく我慢して行っていた(ここしか無いので)。

山田ゴルフクラブコースに有る旧書庫。戦時中会社の重要書類をここに保管(予定?)していた。(屋根に草<芝?>を植えてカモフラージュ)
当コースの西側半分は旧山田農園で社宅の植木を全て供給していたがゴルフ場拡張でなくなった。

GOLF場に練習場が出来るまで、家の庭の鉄棒にムシロを掛けて練習をしていた。
練習場の事をニワトリ小屋と父が呼んでいた。
小川のそばにあり建築中は毎週チェックに行っていた。鍵は入口の鴨井の上にあった。

惣開小学校近辺の地図

G 左:病院前 右:山田社宅(踏切)

H1 小学校裏門(運動場)より前田社宅方面を見る
以前は黒に塗られた木で作られた高い柵であった。
柵の木の間隔が微妙に違い又少し動くので、低学年の時はそのような場所を探し出してすり抜ける事を’垣ヌケ’と称していた。
(当然禁止されていたが・・・)

H2 踏切方面を見る
左植木の生えている少し奥に’尾鉱 (びこう)’の山があった。

F 右奥が小学校
小学校前の道路にムシロを広げその上に稲や麦を播いて自動車に脱穀させていた。(当時、舗装道路と車の数は非常に少なかった)

F 左が病院前へ ホテル 前田社宅 右が小学校 左右の道は一直線だがパノラマ加工で逆ハになっている。
幼稚園時代、病院前から帰る際小学校の手前あたりから、ある理由でここを通る際は左側(学校の無い側)を通っていた。

病院前交差点。商店街入口の交通標識に ’自転車並列可’ 。
ここを起点にバスが出ていた。
*瀬戸内バス(西条方面)はトレーラーバス(運転台と客室は独立)で力強く大型。運転台についている煙突の様な排気管から
大きな音と力強く黒い排 気ガスを出していた。
市バス(市内&国鉄方面)は小さくそして弱弱しい車体で銀色(通称銀バス)で電気自動車。
電池容量が少なくなると、乗客を乗せたまま電池交換所に入る。
畳半畳ほどの電池をゴゴゴ~と床下から出して入れ替え。

病院前交差点より旧泉寿亭方向 リーガロイヤルが見える

病院前交差点より小学校方向

昭和30以前、料理研究家の元祖(江上トミ氏)を招き
社宅の夫人達に講和&料理教室を行った。

昭和30年前後木琴奏者の草分け(平岡葉一氏)を招き演奏会があった。その前座で小学低学年のH**タ(kk)女子が小さいため踏み台を使用して演奏した。

斜めになった木は昔と変わっていない。左緑系の屋根の教室も昔も同じ様なところにあった。この教室の西側がテニスコート(現在も)窓から紙飛行機を飛ばし、コート所有者から紙ヒコーキの掃除が大変だとクレームがあり、その後紙ヒコーキ禁止になった。

山田社宅の有志が作ったキリスト系の私立幼稚園であった。
イースターでは色付けしたゆで卵がもらえた。
クリスマスにはツリーを飾りお祝い事をした。
讃美歌112番’もろびと こぞりて’を何回も練習させられた
意味も分からず’モロビトコゾリテ・・シュワキマセリ’と暗証させられた。キリスト教徒にはならなかったが楽しく又イイ思い出である。
幼稚園の道を挟んだ東側は病院のグランド(今は病院)で道のそばにプールがあった。
入園前にこのプールでまず最初に水中の石ひろいをさせられて水に慣れた。

交差点の南西に変電所?がり、水の冷却のため水が蓮の葉のように出ていた。 小さい時はこの場所をスイレンと呼んでいた。


前田社宅の中に出来たリーガロイヤルホテル

社宅の空き地にはセイタカアワダチソウが繁茂

リーガロヤルホテルと
残った前田社宅群
いずれ取り壊し。

上段:交差点より旧泉寿亭 今は図書館
下段:交差点より南(西中)方面

西中横より南(山)を見る
鉄道軌道あとが残っている(柵は枕木)

住友機械(現:住友重機械)の門
戦後は門入って左に木造の建物に日曜品など販売している購買部があった。市中より少し安かった。

旧別子大丸 昭和通りより。(建物も名称も変わっている。場所は同じ)
戦後の昭和20年代、写真の右奥で木造の倉庫のようなものと繋がっていてその2階で年1回程度、アメリカの中古衣料販売会があった。
s30頃、百貨店北西の隅に小さな池がが有ったように思う、そこに小さな
子供遊園地が出来た様な記憶があるが・・・??